★★★はじめに★★★ このホームページの依頼をお受けした時、心躍る思いでした。それと言うのも知人を通して、岩本恵二氏の作品を幾つか拝見させて頂き、組子細工の和を超越した美しさに心引かれたからです。家を建てるのは一生涯の大事業です。誰しもが部屋の細部にまで、住みやすさ、美しさを追求したいと考えるのではないでしょうか...畳の匂い、障子を通して差し込む柔らかい光、そんな家に住んで見たいと考えるのは、おそらく私だけでは、ないと思います。こんな組子細工障子が自分の家にあったらどんなに心が和む事でしょうか... このページでは、これまでに各紙面に掲載された、岩本恵二氏の記事を中心にご紹介して行きたいと思います。組子細工障子等の製作過程を記したものも、ございますので、最後までご覧くださると作品の素晴らしさがご理解頂けると思います。 |
栃木デザイン大賞 岩恵木工所(鹿沼)最優秀 1990/12/14 しもつけ新聞 掲載 |
産業デザインの発展を目的とする県デザイン振興会議は13日、平成2年度県優良デザイン商品ととちぎデザイン大賞の各賞を決定した。最優秀賞には岩恵木工所(鹿沼市上野村)の組子入り座卓が選ばれた。 優良デザイン商品の選定は、県内工業デザインの普及と技術向上を目指し、平成元年度から実施されている。 最優秀賞となった住生活部門の「組子入り座卓」は、座卓表面いっぱいに県の伝統工芸「組子細工障子」をはめ込んだ製品。機能性と美しさが評価された。 |
伝統生きる技 小2の時から志 〜鹿沼組子書院障子〜 1991/5/15 東京新聞 掲載 |
岩恵木工所の展示室に入ると、繊細で華麗な建具が幾重にも立て掛けられ、その迫力に圧倒された。「これ手作りですか」を何度も繰り返しながら組子(くみこ)書院障子の技にクギづけになった。岩本恵二さんは穏やかな顔つきで「あれです」と、のこぎりを指し「機械では柄(ほそ)に狂いが出ます」と、ビックリする言葉が続いた。 鹿沼市の農家の二男として生まれた岩本さんが、木工芸のとりこになったのは、小学二年生の時である。通学の沿道に建具屋があって、その手仕事にすっかり魅せられたそうだ。中学を卒業すると、迷わず地元の木工所に就職した。三年ほど勤めたが、理想の高い建具師を夢見ていた岩本さんには不満で、退社してしまった。 鹿沼はかってはこう地方から産出される豊富な木材を扱う木工業の町として知られ、今もその名残をとどめている。また日光東照宮造営に参加した江戸時代の名工たちがその技をこの地に残したとも言われ、鹿沼の建具職人の胸の中には、その技を継いでいるという誇りがある。 納得のいく勤め先を探し続けていた岩本さんは関光さんの組子書院障子にめぐり合うのである。組子の第一人者であるが、弟子は措かない主義の昔かたぎの職人だった。八方手を尽くし、二十一歳で弟子入りが許された。師匠と並んで仕事をしてみると、緊張と興奮で手が震えて仕事にならない。夜は師匠が削った組子の木片をポケットに隠し持って帰り、にらめっこの連続だったそうだ。 書院造りは床の間や棚、座敷飾りがそろった、室町時代に完成した様式だ。その後、禅寺の書院を武家がまねて、書斎などの一部に取り入れたことにより、大衆化への道を歩むことになったのである。 岩本さんの工場では現在、七人の職人さんが働いている。母屋に並んで寮もあり、県外からの若者に門戸を開いているのだ。長男文男さんも後継者への道を進んでいる。「息子さんの腕は」と伺えば、「まだまだですね。技術が身についても、それをどう生かすかが問題です。そこまでは教えられないから」と厳しい職人の言葉が返ってきた。 |
技いきいき 組子工芸 岩本恵二さん(54)=鹿沼= 1991/6/19 しもつけ新聞掲載 |
人さし指の爪ほどしかない木片と木片を組み合わせて幾何学模様をつくる組子。ひし形や三角形、四角形などのほか、円形状の細工チップをはめ込んだりもする。器用な手先から組子欄間や書院障子が生まれる。 一般的な建具職人の道に入っが二十三歳のころ「職人技を身に着けたい」と地元で組子の名人、関光さんに弟子入りした。組子の技術を習得するには十五年はかかるといわれるこの世界。「器用さばかりか、根気と仕事欲がないとつとまらない」という。現在岩本さんのもとには、県内外から七人が見習いにきいてる。 厚さ数_、幅1a長さ1bの桟(さん)木を組みひし形や四方形などのシンプルな空間をつくりだす。さらにこの空間に厚さ2_の木片をはめ込み美しく、微細な幾何学模様が出来上がる。まさにミリ単位の創作美といえる出来栄えだ。客の好みによっては、富士や松竹梅、投網の木彫品を張ったりもする。素材は木曽ヒノキや日光杉、秋田杉など。「木曽ヒノキは柔らかく使いやすいが、日光杉は木目が細かく輝きがあって見栄えがしますね。」一組の障子、欄間で約一ヶ月かかる。 「昨年、鯉の彫り物を付けて展示会に出品したら虫眼鏡で見て ゛目が上すぎる゛と言われてね。それ以来鯉を飼っています」と目を細める。研究熱心な人だ。 |
たくみNOW 建具師 岩本恵二さん 56 (鹿沼市上野町) 1993/2/24 読売新聞掲載 |
遠く川面の小舟から、編みがさ姿の漁師が打った投網が口を広げる。川底を二匹のコイが泳ぎ、かなたには雲から頭をのぞかせた富士....。岩本さんの作品は、まるで一幅の水墨画のようだ。 組子障子には細かな技が要求される。一辺3aほどの三角形にデザインされた花柄模様でさえ、十前後の木片から出来ている。合わせ目はミリ単位の制度でノコが入れられ、片面をガラステーブルに押し付けると、一分のすきもなく、ぴったりくっつく。 鹿沼市の農家に生まれた。小さいころから木をいじるのが大好きで、幼心にも「いつか日本一の建具屋に」と決めていた。二十代の初め、実家の庭先に作業小屋を建て、市内の木工所を転々としながら「必死になって仕事を覚えた」。 そのころ、ある現場で竹をデザインした組子障子を見かけた。その見事な出来栄えに感動し、以来、作者の故・関光さんの職場に毎日のように通いつめた。 関きんの教えは厳しく、「最初の数ヶ月間は涙を流す日が絶えなかった」しかし、その努力が実を結び、平成二年には作品が県伝統工芸品に選ばれた。「いつか部屋の天井一面を細工で飾り、見上げた人が皆うなるような作品を、この手で仕上げてみたい」夢を描く。 |
マイホーム拝見 【組子工芸】岩本恵二さん(57) 鹿沼市・木工所経営 1994/6/20 しもつけ新聞掲載 |
「桜」の組子入りの玄関にまず驚かされるが、茶の間の窓は「鷹(たか)に松」「近江八景」の豪美な組子障子な並んで、訪問者を豪華な気分にさせる。廊下から奥座敷に入ると、そこは幾何学模様の世界。子供が真っすぐ育つようにと縁起を担いだ「麻の葉」のデザインの障子に「麻の花を中央に配したふすま。「氷」を割った模様の欄間の組子書院が深い味わいを引き出している。 極め付きは床の間わきの鯉(こい)と富士山をアレンジした「引き網」という作品で、原価はざっと二百七十万円。県内でも数少ない伝統工芸士の岩本さんが創作に三ヶ月、製作に一ヶ月を費やした大作で「売ってほしい」と頼む客もいるとか。素材はすべて柔らかい木曽ヒノキ。自宅に少しずつ手を加え、組子書院は築十八年目で六セットになった。建具職人からスタートし゛建具の芸人゛と言われた 故 関光さんに弟子入り、組子を学んで四十二年目という岩本さんならではのマイホームだ。 |
岩恵木工所の衝立が最優秀 1997/11/19 しもつけ新聞掲載 |
-県優良デザイン商品- 県は本年度の県優良デザイン商品(Tマーク)の選考を行い、最優秀賞に鹿沼市上野町の建具メーカー岩恵木工所(岩本恵二社長)の彫刻組子入り衝立(ついたて)を選んだ。 彫刻組子入り衝立は、ついたての図柄に組子による彫刻をはめ込み、日本的風情と繊細さを感じさせる商品。「居住スペースに潤いを与え、人と物の親しい関係を再認識させる」と評価された。 |
開運 なんでも探偵団 1998/12/22 読売 ニュースのサラダ |
鹿沼商工会議所主催、テレビ東京の人気番組『開運なんでも鑑定団』が、去る十二月六日(日)午後一時より、鹿沼市立北小学校体育館にて開催、当初500席用意していたイスは早くも満席になり、立ち見客がでるほどの人気ぶりでした。 今回の開催目的として主催側は『鹿沼市周辺に埋もれている数々の「お宝」を発掘する事により、これを郷土の誇りとし、テレビを通じ全国に「屋台の街、木の街、鹿沼」をPRするための企画。』 そのため、会場場所に木の街を強調する゛木造校舎゛の北小学校が選ばれたそうです。 舞台に飾られた建具は(有)岩恵木工所のご協力による伝統工芸品組小細工の建具で、鑑定士の先生方に「とても素晴らしい。」と絶賛されていました。 |